平安時代後期の公家であり、歌人でもある。後一条天皇の時代に従五位下に叙爵され、三河権守に任官された。その後、後朱雀朝から後冷泉朝にかけて刑部少輔や少納言、左馬頭などを歴任し、順調に昇進を重ねた。治暦3年(1067年)には参議に昇進し、公卿に列する。後三条天皇の中宮・馨子内親王に仕え、白河朝では権中納言として活躍。晩年は大宰権帥に任ぜられ、九州に下向した。詩歌や管絃に秀で、多くの歌合に参加する一方で、『後拾遺問答』や『難後拾遺』を著し、『後拾遺和歌集』を批判するなど、歌壇でも存在感を示した。勅撰和歌集に85首が収められ、その歌風は平明な表現で知られる。家集には『大納言経信集』があり、日記として『帥記』が残る。
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主な子孫





















