平安時代中期から後期にかけて活動した公家で、世尊寺流の能書家として知られる。後朱雀朝末の長久4年(1043年)に従五位下に叙爵され、後冷泉朝では侍従や左兵衛佐、少納言を歴任。天喜4年(1056年)には五位蔵人、天喜6年(1058年)には右少弁から左少弁に任じられ、天皇に近侍した。後三条朝では、延久元年(1069年)に蔵人頭兼左中弁、延久4年(1072年)には参議兼右大弁として公卿に列する。白河朝でも議政官を務め、昇進を続けたが、寛治8年(1094年)に大宰権帥としての職権を利用した私貿易が咎められ降格。嘉保3年(1096年)に正二位に復位するも病で出家し、同日に没した。勅撰歌人としても活動し、『後拾遺和歌集』などに5首が採録されている。
主な祖先
藤原伊房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















