鎌倉時代中期から後期にかけて活躍した公卿であり歌人。庶流出身でありながら後宇多上皇の厚遇を受け、従一位・内大臣にまで昇進。近衛次将や左大弁、造東大寺長官などの役職を歴任し、伏見天皇期には大覚寺統の復権を目指して幕府との交渉に尽力した。和漢の学才に優れ、儒書を講じ、二条為世から歌学を学び、多くの勅撰集に和歌を残した。晩年、法皇の詔によって異例の措置で内大臣に任じられるも、病に倒れ出家。享年69。『徒然草』には、知識を誇る医師を諌めたエピソードが記されている。
六条有房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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