鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての女官・歌人。後醍醐天皇の中宮である西園寺禧子の筆頭女房、中宮宣旨として仕え、後醍醐天皇の側室として懐良親王を生む。懐良は後に明から日本国王に冊封され、藤子は明史における日本の国母とされる。『続千載和歌集』などに勅撰歌人として和歌が8首収録されている。元応元年(1319年)に中宮宣旨に抜擢され、家格・知性・実務に優れた人物として活躍。元弘の乱で後醍醐が隠岐に流された際に出家したが、後に病で数え52歳以上で薨去した。彼女の死後、息子の懐良は母を思慕し続け、遺品として供養を行った。藤子の霊牌は熊本県八代市の悟真寺にあり、親子三人揃って供養されている。
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二条藤子の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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