葉室光親は平安末期から鎌倉初期の公卿で、正二位・権中納言に至る。寿永2年(1183年)に六位蔵人となり、以後も豊前守や右少弁など多くの役職を歴任した。承久3年(1221年)の承久の乱では後鳥羽院の側近として北条義時討伐の院宣を執筆したが、実際には上皇の倒幕計画に懸念を抱いていた。乱後、君側の奸として捕らえられ、甲斐源氏の武田信光に護送される途中で処刑された。享年46。彼の死後、北条泰時は光親の諫状を読み、その処刑を後悔したという。静岡県に墓が残り、忠臣としての評価を受けている。
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葉室光親の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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