室町時代後期から戦国時代にかけての公卿であり、内大臣を務めた。長禄2年(1458年)、兄の死去により家督を継ぎ、従五位下に叙され、改名する。応仁元年(1467年)には応仁の乱を避けて鞍馬寺に疎開。永正3年(1506年)に内大臣となるが、短期間で退任。後土御門天皇ら3代に仕え、天皇家と深い縁戚を持つ。和歌・古典文化の保持に努め、宗祇から古今伝授を受けた。文化人との交流も多く、茶道や和歌を通じて貴族社会に影響を与えた。著作や日記『実隆公記』は史料としても貴重である。浄土宗を信仰し、側室を持たず一夫一婦制を貫いた。





















