勧修寺教秀は、室町時代中期から戦国時代にかけての公卿で、勧修寺家第7代当主。武家伝奏として足利将軍家に仕え、第6代将軍・足利義教から偏諱を受け教秀と名乗った。享徳2年(1453年)に参議、文明3年(1471年)には権大納言に昇進。明応5年(1496年)に准大臣・従一位に任ぜられ、同年に71歳で薨去。死後、左大臣を贈位された。教秀の死後、当主の地位は従兄弟の経茂が継いだ。
主な祖先
勧修寺教秀の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
- 女(勧修寺教秀・室)
父: 飛鳥井雅永 (藤原北家師実流難波家庶流飛鳥井家)
主な子孫





















