戦国時代から江戸時代初期にかけての皇族・歌人で、八条宮(桂宮)の初代当主。豊臣秀吉の猶子となり関白職を約束されたが、秀吉に実子が生まれたため解約された。天正17年(1589年)に八条宮家を創設し、慶長6年(1601年)には一品に叙せられる。古今伝授を受け、和歌や連歌に精通し、自宅で歌会を開催し若い歌人を育成。造庭にも優れ、桂御別業(現在の桂離宮)を造営。学問・文芸に秀で、『智仁親王御記』などの著述を残し、古典の収集にも尽力。寛永6年(1629年)に薨去し、子孫は八条宮(桂宮)家や広幡家として続いた。





















