平安時代後期の貴族で、近衛天皇の六位蔵人や右近衛将監を経て、康治2年(1143年)従五位下に叙爵される。後白河天皇の即位に際して女御・藤原忻子の家司となり、中宮権大進や皇后宮権大進としても活動。後白河院政期には判官代を務め、応保元年(1161年)には二条天皇の五位蔵人に任じられる。六条天皇の時代も続けて五位蔵人を務め、仁安元年(1166年)に左衛門権佐に遷る。後に右少弁、右中弁、左中弁と昇進を重ね、治承3年(1179年)には右大弁となるが、養和元年(1181年)に病気で出家した。
主な祖先
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