鎌倉時代の真言宗の僧である定濟は、内大臣・土御門定通の子で、醍醐寺三宝院の憲深に師事し出家した。憲深から三宝院を譲られ、中興を果たす。寛元元年(1243年)に三会を講じ、翌年に法眼に叙せられ、寛元3年(1245年)には権少僧都に任命される。宝治元年(1247年)には権大僧都、建長5年(1253年)には法印、建長8年(1256年)には醍醐寺座主に就任。文永4年(1267年)には東大寺別当、文永10年(1273年)には僧正、弘安3年(1280年)には東寺長者、弘安4年(1281年)には大僧正に至り、蒙古降伏を祈祷する勅命を受けた。弘安5年(1282年)、63歳で入寂した。弟子に定勝・通海・定海がいる。











