平安時代後期の公卿であった。永久2年(1114年)に大膳亮に任官し、六位蔵人を経て、保安4年(1123年)に従五位下・右衛門少尉に叙任される。天治2年(1125年)には上総介、長承元年(1132年)には信濃守を務めるなど、地方官としての役割を果たす。保延5年(1139年)には左衛門権佐として京官に復帰し、久安3年(1147年)には従四位下・尾張守に任命される。鳥羽法皇の院別当や藤原頼長の家司としても活動し、保元の乱後も政治的地位を保った。和歌にも秀で、『金葉和歌集』などの勅撰集に16首が収められている。1163年に出家し、法名を大覚と称した。享年67。





















