平安時代末期の公卿であり、正三位・参議にまで昇進した。後白河法皇に仕え、右近衛少将兼丹波守となり「丹波少将」とも呼ばれた。安元3年(1177年)、父の藤原成親が鹿ヶ谷の陰謀に関与し、これに連座して備中国へ流された後、薩摩国鬼界ヶ島に流罪となった。翌年、教盛の嘆願で赦免され帰京。帰京後は官職に復帰し、文治元年(1185年)に蔵人頭、建久元年(1190年)に参議、建久5年(1194年)には皇太后宮大夫に任じられるなど再び公卿として活躍した。
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