後白河天皇の第7皇子として誕生し、仁安元年(1166年)に皇太子に立てられ、仁安3年(1168年)に8歳で天皇に即位。父・後白河院が院政を行ったが、治承3年(1179年)に後白河院と平清盛の政治的対立が深まり、治承三年の政変によって後白河院が幽閉されると、自ら政務を執った。治承4年(1180年)に安徳天皇に譲位し、太上天皇となり院政を開始するも、間もなく病に倒れ治承5年(1181年)に崩御。享年21。平家と協力して政治を進める意図を持っていたともされる。『平家物語』には寛大さを示す逸話が残る。陵は京都府京都市東山区に所在する。
主な祖先
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養父
主な子孫





















