承徳2年(1098年)、堀河天皇に入内し女御となる。康和2年(1100年)には従四位下に叙される。一度の流産を経て康和5年(1103年)、第一皇子宗仁親王(後の鳥羽天皇)を出産するが、難産のため28歳で死去。同年、従二位を追贈され、嘉承2年(1107年)には鳥羽天皇の即位により皇太后を追贈された。入内に際しては、従姉妹である白河院が世話をしており、皇子出産の期待をかけられていた。苡子の兄である公実は鳥羽天皇の外戚となり、姪の璋子は鳥羽天皇の中宮となるなど、閑院流の発展に寄与した。
主な祖先
藤原苡子の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















