久安3年(1147年)生まれの亮子内親王は、後白河天皇の第1皇女であった。久寿2年(1155年)、10歳で内親王宣下を受け斎宮に卜定されたが、父の譲位により保元3年(1158年)に退下。寿永元年(1182年)には安徳天皇の准母として皇后宮に冊立され、後には後鳥羽天皇の准母ともなった。文治3年(1187年)には殷富門院の院号を受け、建久3年(1192年)に落飾する。晩年には、養子の道尊を開基として蓮華光院を建立。建保4年(1216年)、70歳で崩御した。殷富門院大輔や京極局など、著名な女房たちが仕えていたことでも知られる。











