中納言藤原公成の娘で、大納言藤原能信の養女となった。永承元年(1046年)、皇太子尊仁親王(後の後三条天皇)の副臥として入内する。当時、尊仁親王とその母は関白藤原頼通と対立し、後見のない尊仁親王に娘を入内させる公卿はいなかったため、養女として入内した。茂子は皇子貞仁(白河天皇)や篤子(堀河天皇中宮)を産み、尊仁親王が即位すれば次期東宮の生母となる立場だったが、康平5年(1062年)に尊仁親王の即位を見ずに死去。後に従二位や皇太后を追贈された。彼女の実家である閑院流はその後も歴代天皇の后や生母を輩出し、院政期に大きく関わる。陵墓は京都府宇治市の宇治陵。
主な祖先
藤原茂子の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















