康平5年(1062年)に母と死別した後、篤子内親王は祖母陽明門院のもとで育つ。治暦4年(1068年)に内親王宣下を受け、延久元年(1069年)には三品に叙される。同5年、斎院に卜定されるが、父後三条天皇の崩御により在任期間は短かった。寛治5年(1091年)に堀河天皇に入内し、翌年中宮となる。嘉承2年(1107年)、堀河天皇の崩御後に出家し、堀河院で天皇の菩提を弔う生活を送った。享年55で没し、その遺骸は雲林院に土葬された。篤子内親王は複雑な宮廷の政治背景の中で重要な役割を果たし、兄の白河上皇をはじめとする多くの有力者から重んじられた。
主な祖先
篤子内親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











