鎌倉時代前期の公卿であった。建久9年(1198年)に土御門天皇の即位に伴い六位蔵人に任じられ、以降従五位下に昇進。続く建仁2年(1202年)からは遠江守を皮切りに、伊賀守、越後守、肥前守などの地方官を歴任。承元3年(1209年)には右少弁に抜擢され、順調に昇進を重ね、建保6年(1218年)に参議に任じられて公卿に列した。承久の乱(1221年)では後鳥羽上皇の挙兵に反対し、九条道家を支える立場に回った。鎌倉幕府からも好意的に見られ、幕府との交渉を担った。貞永元年(1232年)に正二位に昇進し、嘉禎2年(1236年)には按察使に任じられた。暦仁元年(1238年)に出家し、翌日薨去。享年49。





















