平安時代後期の公卿である。天永元年(1110年)に文章生に補任され、修理亮や六位蔵人などを経て、永久4年(1116年)に従五位下に叙爵。白河院政期末から鳥羽院政期にかけて多くの要職を歴任し、長承2年(1133年)には左衛門権佐、保延2年(1136年)には五位蔵人に任じられる。その後、約20年間弁官を務め、久安元年(1145年)には正四位下、久安6年(1150年)には蔵人頭兼右大弁に昇進。仁平3年(1153年)に参議として公卿に列し、保元元年(1156年)に従三位・権中納言となり、翌保元2年(1157年)には正三位に至る。保元3年(1158年)に致仕し、平治元年(1159年)に63歳で薨去。
主な祖先
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