平安時代末期の后妃であり、後白河天皇の中宮となる。久寿2年(1155年)に入内し、後白河天皇の即位と共に従四位上女御になる。保元元年(1156年)に中宮に冊立され、保元3年(1158年)には後白河天皇が譲位する。平治元年(1159年)には姝子内親王が中宮に立后したため皇后宮となり、承安2年(1172年)には平徳子が高倉天皇中宮に立后したため皇太后となる。承元3年(1209年)に76歳で崩御。美貌であったと伝えられるが、後白河天皇の寵愛は薄かったとされる。
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