平安時代後期の公卿で、正三位・参議を務めた。保元3年(1158年)に蔵人に叙爵し、翌年の平治の乱では後白河上皇を内裏から脱出させることで、平清盛側に有利な戦局をもたらした。この功績により平氏政権との関係は良好で、清盛の盟友である藤原邦綱の娘を室とし、高倉天皇の乳母人となる。仁安元年(1166年)に参議に任ぜられるが、承安4年(1174年)に出家し、高野山に隠棲した。高野宰相入道とも称され、『平治物語』や『平家物語』では賢人として描かれるが、『愚管抄』ではその出家を無益と評されている。
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