鎌倉時代の公卿で、藤原北家勧修寺流吉田家に属す。後嵯峨上皇の側近として活躍し、様々な役職を歴任。嘉禄元年(1225年)に従五位下に叙爵されたが、次男であったため昇進は遅れた。後に院政下での順調な昇進を果たし、宝治元年(1248年)には右少弁に任ぜられた。建長8年(1256年)に兄の死去に伴い伝奏・評定衆となり、正嘉2年(1258年)には参議。最終的に正二位まで昇叙し、文永8年(1271年)に中納言に転じた。日記『経俊卿記』を残し、建治2年(1276年)に63歳で薨去。
主な祖先
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