平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人であった。久安3年(1147年)に叙爵し、保元元年(1156年)には侍従・左少将・中宮権亮に任じられた。その後、昇進を重ね、文治2年(1186年)には権大納言、建久元年(1190年)には大納言に至った。和歌に秀で、『千載和歌集』などに作品が収められる一方で、『実家集』という自撰の歌集も残している。和琴や今様、神楽歌にも才能を発揮し、慈円や道因と親交が深かった。ただし、西行は彼を世俗的な人物と見なし、距離を置いていたという。建久4年(1193年)、痔疾により49歳で薨去した。
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