近衛天皇の皇后であり、続いて二条天皇の后となった。養父である藤原頼長の後押しで近衛天皇に入内し、久安6年(1150年)に皇后となる。保元の乱で頼長が敗死するが、徳大寺家は既に頼長派から離脱していたため、大きな影響は受けなかった。永暦元年(1160年)、二条天皇の強い要請で再び後宮に入り、史上唯一、異なる天皇の后となった女性。文化的素養に優れ、書・絵・琴・琵琶の名手としても知られる。建仁元年(1201年)、62歳で崩御した。
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