鎌倉時代中期の公卿であった徳大寺実基は、寛元4年(1246年)に内大臣に任命され、鎌倉幕府の要請で創設された院評定の一員として後嵯峨院政を支えた。建長5年(1253年)には徳大寺家として初めて太政大臣に昇進し、翌年には従一位に叙される。出家後も後嵯峨院の信任を受け、奏状を提出しその政策に影響を与えた。学問や故実に通じ、法律に明るく、名例律や法書の編纂に関わるなど、その知識を活かして現実的な判断を行うことを是とした。日記『実基公記』が断簡として現存し、彼の業績が後世に伝わっている。
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徳大寺実基の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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