平安時代中期の貴族である源顕定は、村上天皇の皇孫であり、様々な役職を歴任した。長和5年(1016年)、姪の嫥子女王が斎宮に選ばれると、斎宮別当に任命されるが、無理な申し立てで恐懼処分を受ける。寛仁元年(1017年)には後朱雀天皇の東宮昇殿を許される。寛仁3年(1019年)、藤原定頼に嘲笑されるも、逆に定頼が摂政の勘気を受ける事件もあった。晩年には民部大輔に任じられ、治安3年(1023年)に没した。享年は不明だが、45歳以下と推測される。
主な祖先
源顕定の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











