平安時代初期から前期にかけての公卿で、嵯峨天皇の子として生まれた。幼少期から父・嵯峨天皇に寵愛され、退位後は叔父である淳和天皇の猶子となる。淳和天皇からも非常に愛され、「定には二父二母あり」とまで称された。天長5年(828年)、源朝臣姓を賜与され、天長8年(831年)に元服。天長9年(832年)に従三位に直叙され、18歳で公卿に列した。仁明天皇の即位後、参議や中務卿を務めた。承和7年(840年)には養父・淳和上皇の崩御により参議を辞し、後に復帰。最終的には正三位大納言兼右大将に至り、貞観5年(863年)に49歳で薨去。性格は温雅で、音楽を愛し、自ら演奏を楽しんだ。背が高く堂々とした容姿であった。



















