平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿である。保元元年(1156年)に元服し、正五位下に叙任され、翌年には従三位権中納言となる。摂政や関白、太政大臣などの高官を歴任し、幼少の高倉天皇の摂政を務めた。平清盛との関係が悪化し、治承3年(1179年)には関白を解任されて左遷されるが、再び京都に戻ることが許された。寿永2年(1183年)には摂政に復帰しようとするも失敗し、その後は公事や有職故実に通じた存在として重んじられた。有職故実の知識を伝え、基房の学説は「松殿関白説」として摂関家で重要視され続けた。寛喜2年(1230年)に87歳で亡くなる。





















