鎌倉時代前期の公卿である一条頼氏は、藤原北家中御門流の出身。父の死後、昇進は遅れたが、建保3年(1215年)に従五位下に叙された。後に北条時房の娘を妻に迎え、承久の乱では京都を脱出し鎌倉幕府に報告した。乱後、右衛門権佐や右近衛少将に任ぜられ、順調に昇進。嘉禎2年(1236年)に従三位となり公卿に列した。皇后宮権大夫や左兵衛督を務め、宝治元年(1247年)には従二位に達し、翌年に51歳で薨去。息子たちの室を北条氏から迎え、家格の維持に努めた。
主な祖先
一条頼氏の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















