鎌倉時代初期の公家で、藤原北家中御門流に属する。元暦元年(1184年)に叙爵し、文治2年(1186年)には左馬頭に任官。以降、順調に昇進を続け、建久4年(1193年)には右兵衛督に任命される。鎌倉幕府からは京都守護に任じられ、源頼朝の娘・大姫との縁談が進められるが、破談となる。その後、松殿基房の娘を妻に迎え、建久7年(1196年)には参議に任ぜられ公卿となる。建久9年(1198年)に病に倒れ、23歳で死去。昇進の背後には土御門通親による鎌倉幕府との連携があったとされる。
主な祖先
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