飛鳥時代末期から奈良時代初期の皇族で、文化人として活躍。天智天皇の第7皇子でありながら、政治的な役割よりも和歌に力を注ぎ、『万葉集』に6首の和歌を残した。天武天皇8年(679年)には吉野の盟約で皇位継承争いを避けることを誓った。持統天皇の時代には撰善言司に任じられたが、位階や要職での活躍は少なかった。晩年にかけて昇進し、和銅8年(715年)には二品に叙せられた。薨去の54年後に子の白壁王が光仁天皇として即位し、春日宮御宇天皇の追尊を受けた。歌人として清澄な自然鑑賞を詠んだ作品が高く評価されている。

















