平安時代初期から前期にかけて活躍した貴族であり、嵯峨源氏融流の初代。承和5年(838年)に元服し正四位下に直叙、翌年には源融として臣籍降下し侍従に任ぜられる。文徳天皇即位後も昇進を続け、貞観12年(870年)には大納言、貞観14年(872年)には左大臣に任ぜられた。陽成天皇の即位後、藤原基経が摂政に任じられたことに反発し、自宅に引籠もる。宇多天皇即位後に政務に復帰し、最終的には左大臣従一位で薨去した。紫式部の『源氏物語』の光源氏のモデルとされる。京都の六条河原院に塩竈の風景を模した庭園を造らせた逸話があり、能「融」の元にもなった。『古今和歌集』『後撰和歌集』に和歌が収録されている。
主な祖先
源融の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫




















