平安時代初期から前期の貴族で、嵯峨源氏に属する。仁明天皇の時代に従五位下に叙され、元興寺使を務める。天安元年(857年)に侍従に任じられ、宮内少輔や刑部少輔などの京官を歴任。その後、清和天皇の時代には地方官に転じ、伊予権介や備前介を務める。従五位上に昇進し、刑部少輔時代の事件で問題となるが、刑部省の諸官人と共に免罪される。貞観年間には民部少輔や美濃守を歴任し、信濃守・大和守を務める。陽成天皇の元慶元年(877年)には従四位下に昇叙され、翌年には但馬権守に転任。元慶3年(879年)に没する。最終官位は従四位下行但馬権守。









