平安時代初期から前期にかけて活躍した公卿で、初代源氏長者。嵯峨天皇の子として臣籍に降下し、源朝臣姓を賜与された。淳和朝で迅速に昇進し、仁明朝では中納言、後に大納言に任命される。承和の変後、文徳天皇の時代に次期皇位継承について意見を求められ、惟仁親王を支持する姿勢を示した。応天門の変では、伴善男の誣告で放火の嫌疑を受けたが、無実が証明され難を逃れた。晩年は精神的打撃を受けるも、貞観10年(868年)の狩猟中に事故で亡くなる。才知に優れ、書画や音楽にも秀でた。正一位を追贈され、その生涯は多彩な才能と波乱に満ちた政治活動で彩られた。









