平城天皇の第一皇子であり、在原行平・業平の父。大同4年(809年)に四品に叙せられるが、翌弘仁元年(810年)の薬子の変で父・平城上皇と弟・高岳親王の失脚に連座し、大宰権帥に左遷される。弘仁15年(824年)、平城上皇の崩御後に入京が許され、子息らに在原朝臣姓を賜与し臣籍降下させる。仁明朝では上野太守や治部卿などを歴任。承和9年(842年)の承和の変では橘逸勢らの策謀を皇太后に報告し反乱を未然に防いだが、変の3ヶ月後に急死。享年51。死後、一品の品位を追贈される。性格は謙譲で控え目、文武両道に秀で、絃歌に優れた。大阪府松原市の地名や神社にその名を残す。
主な祖先
阿保親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫


















