平安時代初期から前期にかけて活躍した公卿・歌人。天長3年(826年)、兄弟と共に在原朝臣姓を賜与され、臣籍降下する。承和9年(843年)に急死した父の後、比較的順調に昇進し、民政に才を発揮。承和7年(840年)仁明天皇の蔵人となり、以降は武官や地方官を務める。文徳朝では因幡守として赴任し、『小倉百人一首』に採られた和歌を詠む。清和朝では参議として公卿に列し、九州の統治に関する起請を提出。元慶5年(881年)、在原氏の学問所奨学院を創設し、教育に貢献。仁和3年(887年)に引退し、寛平5年(893年)に薨去。勅撰歌人としても知られ、民部卿行平歌合を主催した。











