平安時代中期の貴族であり歌人でもあった。村上朝で六位蔵人兼右衛門尉を務め、天暦9年(955年)には従五位下・右近衛少将に叙任される。応和2年(962年)には五位蔵人となり、蔵人少将と呼ばれる。康保元年(964年)には為平親王子日の遊びに供奉し、康保3年(966年)の殿上侍臣舞で皷を奉仕。円融朝では天禄2年(971年)に平野社祈雨奉幣使を、天禄3年(972年)には円融天皇の元服に際して能冠を務める。地方官として備中国や因幡国にも赴任。歌人としても活躍し、『新続古今和歌集』に1首が収録されている。管絃の道にも秀で、「管絃名人」と称される。康保3年(966年)に赤痢を発症し、5月16日に卒去したとされる。
主な祖先
藤原助信の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











