南北朝時代の公卿・武将である北畠顕能は、父親と兄弟と共に伊勢国に下り、同国司に任命され、玉丸城を築き南朝の軍事力を支えた。伊勢を拠点に南朝勢の回復を試みるも、一度は敗退。しかし、観応の擾乱を機に再び軍を起こし、京都回復を果たすなど南朝の重要な役割を担った。晩年には伊勢国司として南朝の支柱を維持し、歌人としても『新葉和歌集』に18首を残した。1383年に没し、その後も南北朝の動向に影響を与えた。享年は58とも63とも伝わる。
主な祖先
北畠顕能の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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