平安時代末期の公卿である藤原師長は、父・頼長の影響を受けて早くから官職を歴任した。仁平元年(1151年)には14歳で参議となり、久寿元年(1154年)には権中納言に昇進。しかし保元の乱で父が敗死すると連座して土佐国に流罪となる。長寛2年(1164年)に罪を赦されて京都に戻り、後白河法皇の側近として活動を再開。安元3年(1177年)には従一位・太政大臣に昇進するが、治承3年(1179年)の治承三年の政変で再び流罪に処される。その後、出家して帰京を許され、建久3年(1192年)に55歳で薨去した。名古屋市には彼に由来する地名が残されている。
主な祖先
藤原師長の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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