平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿で、官位は正三位・非参議。久安2年(1146年)に従五位下となり、保元2年(1157年)には従五位上に昇進。永暦2年(1161年)には民部少輔、翌年に少納言に任じられる。永万2年(1166年)からは左近衛少将、仁安2年(1167年)には美作守を兼任し、順調に昇進を重ねた。寿永2年(1183年)に従三位に叙せられ公卿となり、文治6年(1190年)には美作権守に任じられる。建久2年(1192年)には正三位に昇進するが、建仁2年(1202年)に出家し、承元元年(1207年)に75歳で没した。











