鎌倉時代初期から中期にかけての公卿・歌人で、村上源氏俊房流に属する。従五位下から始まり、後白河院政期の文治3年(1187年)に兵部権少輔に任命され、後鳥羽院政期には建久5年(1194年)に紀伊介を兼任。建仁3年(1203年)には加賀守に任じられる。承久3年(1221年)に従四位下に昇進し、嘉禎2年(1237年)には従四位上となった。後嵯峨院政期に宝治2年(1248年)に従三位に叙され、公卿となる。翌年に出家。勅撰歌人としても活動し、『新古今和歌集』などに和歌が収録されている。官途は不遇であったが、晩年に高位に昇進した。











