鎌倉時代中期の公卿で、福光園関白として知られる。数え15歳で従三位に昇進し、20歳で内大臣となる。祖父の西園寺公経の推薦で後嵯峨天皇の即位後に関白となるが、父である九条道家との不和から一条実経に関白職を譲ることを余儀なくされる。父の死後に勢力を回復し、再び関白となる。最終的に文永2年(1265年)に関白を辞したが、内覧として朝廷の実権を握り続けた。晩年に出家し、普光園院として55歳で薨去する。居所を二条京極第に置き、これが二条家の始まりとなった。
主な祖先
二条良実の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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