南北朝時代から室町時代前期にかけて活躍した公卿であり、関白・左大臣を務めた。貞治6年(1367年)、一条家が断絶の危機にあった際、二条家から迎えられ、一条家を再興。応永元年(1394年)に関白に任命され、その後も同職を数度にわたって務めた。明徳5年(1394年)の改元に際して、足利義満が推した元号案に反対し、「応永」が採用された。日記『荒暦』を残し、令を中原章忠、日本書紀を吉田兼煕に学んだ。准三宮の宣下を受けるも、関白在職中にそれを受けた例は彼以前には一条頼通のみ。足利義満と同年で、彼の信任を受けた。
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一条経嗣の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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