寛喜2年(1230年)、29歳で13歳の第4代将軍・藤原頼経に嫁ぐ。夫婦仲は円満であったと伝えられる。<br>
その4年後に懐妊し後継者誕生の期待を周囲に抱かせたが、難産の末に死産。本人も死去した。これにより頼朝の直系子孫は死に絶え、源氏将軍の血筋は断絶した。<br>
藤原定家の日記『明月記』によると、竹御所の訃報がもたらされた鎌倉武士たちは源氏棟梁の血筋が断絶したことに激しく動揺し、京都の御家人はこぞって鎌倉に下ったという。定家はこのことに対し「平家の遺児らをことごとく葬ったことに対する報いであろう」と述べている。











