北条 守時(ほうじょう もりとき)は、鎌倉時代末期の武将。鎌倉幕府第16代執権。6代執権・長時の曾孫。妹の登子は足利尊氏の正室。
嘉暦の騒動の後、政変・報復を恐れて北条一門に執権のなり手がいない中、引付衆一番頭人にあった守時が16代執権となる。しかし、実権は出家していた得宗家の北条高時や内管領の長崎高資らに握られていた。
1333年元弘の乱では、姻戚関係にあった御家人筆頭の足利尊氏が叛旗を翻したため幕府内での立場が悪化。鎌倉の防衛戦では新田義貞率いる倒幕軍を迎え撃つ先鋒隊として出陣し戦死。
北条守時
(赤橋守時)
鎌倉幕府第16代執権
氏族 | 鎌倉北条氏 |
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生没 | 1295年 - 1333年 |
位階 | 従四位上 |
官職 | 左近将監 相模守 武蔵守 |
幕府職 | 鎌倉幕府執権 評定衆 引付頭人 |
配偶者
主な祖先
主な子孫