系譜で辿る日本史

北条義時

鎌倉幕府第二代執権

得宗家二代当主

十三人の合議制の一人

氏族称・桓武平氏高望流
生没1163年 - 1224年
位階従四位下
官職右京権大夫 相模守 陸奥守
幕府職執権

北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。
建保7年(1219年)に鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、幕府の実質的な指導者となる。幕府と朝廷の対立が激化し、後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布されると朝敵となるが、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽を含む3人の上皇(太上天皇)を配流し、践祚していた後鳥羽の孫の懐成親王(九条廃帝。明治時代に仲恭天皇と諡)を廃した(承久の乱)。

配偶者
主な祖先

葛原親王

13親等祖先

桓武天皇

14親等祖先

天智天皇

17親等祖先

中臣鎌足

19親等祖先

藤原為憲

9親等祖先

主な子孫

伊達光宗

20親等子孫

伊達秀宗

20親等子孫

足利義量

11親等子孫

伊達稙宗

16親等子孫

五郎八姫

20親等子孫

男系子孫のみ表示

養子関係を非表示

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