系譜で辿る日本史

藤原緒嗣

参議・藤原百川の長男

氏族藤原式家
生没774年 - 843年
位階正二位
官職左大臣
幕府職

藤原 緒嗣(ふじわら の おつぐ)は、平安時代の政治家。藤原式家。薬子の変では従姪の薬子、参議・仲成の兄弟が事件の首謀者として死亡したことで、緒嗣が属する藤原式家の政治的地位の低下を招いた。さらに、1歳年下である藤原北家の藤原冬嗣が新設された蔵人頭に任命されて政治の中枢に立ち、弘仁5年(814年)には従三位に昇進して官位でも緒嗣を追い抜き、台頭していく事となる。
その後の昇進面でも冬嗣の後塵を拝し続けるものの、弘仁9年(818年)には右大臣・藤原園人と中納言・藤原葛野麻呂の死去により、以降太政官において首班である冬嗣に次ぐ地位を占めた。また、『新撰姓氏録』や『日本後紀』の編纂事業に参画。特に後者については、編纂の全過程に緒嗣が関ったと言われており、彼の元に優れた文才と批判精神を持つ人たちが集められて制作された。
天長3年(826年)、冬嗣が没すると右大臣だった緒嗣は淳和天皇を助けて再び政治の中枢に立つものの、病気がちで満足に政務が取れない日々が続いた。更に将来を期待していた長男家雄にも先立たれる。加えて、嵯峨上皇崩御後の承和9年(842年)に起こった承和の変によって、中納言・藤原吉野(緒嗣の従甥)が流刑になったのは式家には大きな痛手となった。緒嗣の死後、式家は政治の中枢から遠ざかることとなる。

配偶者
    主な祖先

    藤原不比等

    3親等祖先

    藤原百川

    1親等祖先

    中臣鎌足

    4親等祖先

    藤原宇合

    2親等祖先

    主な子孫

    藤原春津

    1親等子孫

    藤原忠文

    2親等子孫

    男系子孫のみ表示

    養子関係を非表示