平安時代後期の公卿で、関白として活躍。父の後を継ぎ、関白に就任し、堀河天皇と共に政務を展開。院政が確立していない時代背景を活かし、上皇である白河から独立した政治を志向した。大江匡房に学び、実務官僚層を掌握しつつ、新興勢力には警戒を示した。美濃守源義綱の流罪を求めた延暦寺の強訴を拒否し、衆徒を撃退するが、その後、急死し政権は短命に終わる。性格は剛直で、真面目で物事の道理を重視する傾向があった。体躯が立派で、琵琶を弾く姿が印象的とされた。健康問題を抱えていたが、急死は予想外だったとされる。日記『後二条師通記』を残す。

















