鎌倉時代初期の公卿であり歌人でもある。壬生二位と号し、『新古今和歌集』の撰者の一人に名を連ねる。安元元年(1175年)に叙爵し、侍従を経て阿波介・越中守などの地方官を歴任。元久3年(1206年)には宮内卿に任じられ、承久3年(1220年)まで務めた。晩年には『夕陽庵』を設けて日想観を修し、極楽浄土を願った。和歌は藤原俊成に学び、晩成型ながらも藤原定家と並び称されるまでに成長。『千載和歌集』など多数の勅撰和歌集に作品が収められ、歌風は平明で幽寂とされる。生涯に詠んだ歌は六万首に及んだと言われる。息子や娘も歌人として知られる。
主な祖先
藤原家隆の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











