平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿で、権中納言・藤原光隆の長男として生まれる。久寿2年(1155年)に藤原得子の判代官、蔵人に補され、従五位下に叙爵される。保元2年(1157年)に従五位上、永暦元年(1160年)には備後守に任官し、以後も多くの官職を歴任。安元2年(1176年)には後白河法皇の五十賀にて千手観音堂を寄進。元暦2年(1185年)に従三位に叙され公卿に列し、建久9年(1198年)には正三位となる。正治3年(1201年)には皇后宮権大夫に就任し、元久3年(1206年)に辞職。元仁元年(1224年)に78歳で没する。
主な祖先
藤原雅隆の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











